石塚は明治7年(1874年)、23歳のときに陸軍の軍医試補となり、以後、軍医として20年以上活躍。明治29年(1896年)、45歳で陸軍少将にまで上り詰めています。軍隊にいたからどうこうというわけではありませんが、「欧米列強何するものぞ」「欧米よりも日本の方が優れているのだ」という空気の中で、食育思想が育てられたのは確かなのではないでしょうか。
事実、彼の考え方は西洋医学や洋食を好まない軍人、政治家、財界人、文筆家らに好評を博したようで、政財界の援助により石塚説を啓蒙する団体「食養会」が設立。後にその会長が、石塚説と国家神道を混交した独自の世界観から、戦争の正当性を唱え人気を集めたということです。
石塚が唱えた食育思想はごく一部の人々に喝采を受けたものの、残念ながら一般大衆には広まらず、歴史の中に埋もれてしまいました。そもそも現代と違って、明治・大正・昭和前期までの日本社会は、食うや食わずの貧しい人たちが大半を占めており、健康食がどうこうという話じたい、わずかな富裕層の間のクローズな話題だったのでしょう。